研究概要

本研究室の研究テーマは、「情報と物理」の関係を調べることです。情報理論と物理学は、一見かなり異なる対象でありながら互いに密接な関係を持っています。この関係を、量子情報理論と非平衡熱統計力学の数理的手法を組み合わせることで探っていくことが目標です。特に関心があるのは「熱力学過程・測定過程・計算過程などの物理過程が持つ原理的限界」と「そうした限界に、量子効果が及ぼす影響」の二つです。これら二つのトピックに着目することで、熱力学・測定理論・計算理論・ブラックホール物理など、多くの基礎物理の問題にアプローチできるだけでなく、熱機関の量子効果を用いた性能向上のような、実用上重要な問題に対する応用まで、多くの課題の解決に向けた貢献をしていくことができる、と考えています。

以下に,これまでの研究と,関連する論文を挙げます.

対称性を持つダイナミクスにおけるチャンネル実装のリソースコストの一般論
― Wigner–Araki–Yanase定理の拡張と、対称性・不可逆性・量子性のトレードオフ関係 ―

対称性は物理現象の普遍的な制約原理であり、情報処理過程もその例外ではありません。連続対称性(=保存則)が測定に与える制限として知られる Wigner–Araki–Yanase(WAY)定理 は、「保存則の下では、保存量と非可換な物理量を誤差なく測定することはできない」ことを示すもので、後に 測定誤差が保存量の揺らぎに反比例してしか小さくできない という定量的関係へと拡張されました(Ozawa, PRL 2002)。

本研究では、このWAY定理を起点に、対称性が情報処理や物理過程に課す根源的制限を体系的に明らかにしてきました。特に重要な結果として、

任意のユニタリゲートの実装誤差に対する制限の一般化(PRL 2018, PRR 2020)

保存則の制約の下で、量子計算におけるユニタリ操作がどの程度正確に実装できるかを解析し、WAY-Ozawa定理を測定から量子計算過程へと拡張しました。この拡張は、2002年のC-NOT gateへの拡張をはじめとして様々なゲートへの拡張が得られていましたが、任意のunitary gateに対して成立するWAY-Ozawa型の不等式は知られていませんでした。我々はこの問題を解決し、誤差の下限は装置が保持する保存量の量子揺らぎに反比例しており、分散ではなく量子揺らぎこそが精度を決める決定的要素であることを明らかにしました。また、要求誤差を達成するためのコヒーレンスの必要十分量を明らかにしました。

対称性・不可逆性・量子性の間に成り立つ普遍的トレードオフ構造(SIQ定理)の提案と証明(arXiv2021, arXiv 2022, QIP talk 2023)

上記のWAY定理の拡張によって、測定とユニタリゲートという、一見全く異なるダイナミクスに対して共通のコヒーレンスと誤差のトレードオフ関係があることがわかりました。実は、こうした制限は誤り訂正符号に対しても知られています(Eastin–Knill定理)。この事実から、任意の量子ダイナミクスに対して普遍的に成立し、これら3つの定理を統一できる制限があることを予想し、証明しました。具体的なメッセージは下記です:

大域的な連続対称性のもとで局所的に対称性を破ろうとすると不可逆性が生じる。ただし、対称性に対応する保存量について十分な量の量子重ね合わせが存在するとき、不可逆性を緩和することができる

これにより、測定・計算・熱過程・誤り訂正・ブラックホールダイナミクスなどを横断する共通原理としての量子制約構造が明確になりました。

Gibbs保存写像に対するSIQ定理の応用:無限のコヒーレンスを必要とするGibbs保存写像の存在の証明(PRL 2025、QIP talk 2025)

SIQ定理の応用として、量子熱力学の基本操作であるGibbs保存写像(Gibbs-preserving map)を実装する際に、無限の量子コヒーレンスが必要となる場合が存在することを示しました。これにより、従来「自由操作」とされていた一部のGibbs保存写像が、実際には物理的に実現不可能であることを明確にしました。

任意の誤差・擾乱およびOut-of-time-order correlator (OTOC) への統一的適用(arXiv 2023)

SIQ定理で用いられる不可逆性指標は、これまで独立に定義されていた誤差・擾乱の多様な概念、そして量子カオスの指標であるOTOCを、特殊な場合として再現できることを示しました。これにより、これまでOzawaの誤差に対して与えられていたWAY-Ozawa型の不等式を、任意の誤差や擾乱に拡張できることを示しました。

測定および計算における時間・精度のトレードオフの導出(arXiv 2024)

SIQ定理と、上記の誤差の不可逆性による記述を組み合わせることで、任意の量子測定・量子計算ゲートにおいて、動作時間を短くするほど誤差が増大するという、時間と精度の間の普遍的トレードオフ関係を導出しました。この結果は、誤差を完全に消去しようとすると操作時間が無限に発散することを意味します。

非有界な保存量に対するWigner-Araki-Yanase定理の証明 (PRL2023)

WAY定理の長年の課題であった「非有界保存量への拡張」を初めて達成し、連続変数系に対しても保存則が測定精度に制約を課すことを、Yanase条件と呼ばれる条件のもとで厳密に示しました。これは、WAY定理が1960年に有界な保存量に対して完成して以来未解決だった問題の一つの解決に当たります。

  • 主要関連論文:PRL 2018、PRR 2020、PRL2023、PRL 2025、arXiv2021、arXiv2022、arXiv 2023、arXiv 2024
  • 関連QIP講演:QIP 2020、QIP 2023、QIP 2025

対称性の破れのリソース理論(非対称性のリソース理論)の基礎の整備

非対称性のリソース理論(Resource Theory of Asymmetry; RTA)は、量子系のダイナミクスがどの程度対称性を破っているかを定量化する理論であり、対称性を保つ量子操作の一般的な解析に不可欠なツールです。

しかし、RTAは他のリソース理論とは基本構造部分に違いがあり、これまでの解析手法が適用できないため、基礎理論に幾つかの未完成部分がありました。特に、エンタングルメントエントロピーの同定に該当する、純粋状態でのiid convertibilityの問題が、U(1)対称性とZ_2対称性についてしか解決していませんでした。また、相関を許すnon-iid convertibilityについては、どの対称性でも解決していませんでした。本研究室ではこの状況についていくつかの解析を行い、以下の貢献をしました:

  • U(1) 対称性における non-iid 状態変換理論の確立(PRL 2023, Quantum 2023)
  • 任意の有界なLie群に対して量子Fisher情報行列がリソース指標として機能することの証明(PRA 2023)
  • 有限群における純粋状態でのiid convertibilityの一般理論の確立
  • 一般のコンパクトLie群における純粋状態でのiid convertibilityの一般理論の確立
  • 主要関連論文:PRL2023、Quantum 2023、arXiv2023、arXiv2024
  • 関連するQIP talkのリンク:QIP2025

熱機関における量子優位性の理論の構築

当研究室では、量子効果が熱機関の性能限界をどのように変えるかを解析しています。従来の古典熱機関では、効率がカルノー効率に近づくにつれ、出力パワーがゼロに近づく(Shiraishi–Saito–Tasaki, PRL 2016)ことが知られています。
 本研究では、量子コヒーレンスがこの制限を実効的に無効化し、効率をカルノー限界近くに保ちながらパワーをマクロオーダーに維持できることを示しました(PRL 2021)。さらに、対称性を用いることで、効率をカルノー限界近くに保ちながらパワーをオーダーO(N^2)あるいはそれ以上に高められることを示しました(PRL2025:Nは粒子数)。

現在、この理論を発展させ、実験的に検証するために、学術変革領域(B)「量子エナジー革新」が2024年度から走っています(学変のリンク)。

  • 主要関連論文:PRL 2021、PRL 2025

Error mitigationのサンプリングコストに対する普遍的制限

量子誤り緩和(error mitigation)技術において、サンプリングコストの原理的限界を明らかにしました。本研究では、SIQ定理の数理構造を応用し、任意の誤り軽減手法が避けられないサンプリングコストの下限を導出しました。この結果は、ノイズのある量子デバイスにおける誤り緩和の根本的な限界を与えるものです。

  • 主要関連論文:PRL 2023

情報理論による熱力学の拡張

熱力学と情報理論は、どちらも確率分布の変換の限界を扱う理論であるため、そこには共通の構造が存在しています。本研究室ではこの共通構造に着目し、情報理論・測定理論・情報幾何の数理的手法を用いて、従来の熱力学を量子情報的に拡張する理論的枠組みを構築してきました。

これまでの主な成果は以下です:

  • 微小熱機関の最適効率における有限サイズ効果の解析(PRE 2017)
  • 測定理論に基づく量子熱機関の再定式化(PRA 2017)
  • 非マルコフ過程を含む有限時間熱機関の効率限界の一般化(PRE 2017)